三木鉄道 その1


調査日 2009年6月6日
調査手段 自転車

三木鉄道とは、兵庫県加古川市厄神駅から三木市三木駅を結ぶ、非電化単線鉄道であった。
1916年(大正5年)に播州鉄道として敷設され、部分開通を果たした。翌年全線開通している。
その後、1943年(昭和18年)に国鉄へ買収され、国鉄三木線として指定される。

しかし、戦後のモータリゼーションの影響を受け、1981年(昭和51年)に特定地方交通線第1次廃止対象として廃止を承
認されてしまう。
廃止が了承された国鉄三木線であるが、1984年を廃止を逃れるために、第三セクターへ移し、三木鉄道として存続する
ことになる。(三木市が51%の株式を保有)

一度は廃止の危機を脱した三木鉄道であるが、三木市民が主に通勤通学で神戸方面へ向かう際に、使用するのは神
戸電鉄粟生線であり、三木鉄道を使って加古川・姫路方面へ向かう乗客は少なかった。厄神駅で加古川線に乗り換
え、加古川駅から新快速で神戸へ向かうこともできたが、時間、料金のメリットなど一つもなかったのだ。
そしてついに、多額の赤字を計上する三木鉄道は2008年4月1日に正式に廃止され、線路、一部駅舎も現在は撤去され
てしまった模様である。

幸いにして、管理人・のんびりが訪れた2009年6月6日段階では、駅舎は残っていたので、写真撮影に成功している。
線路は、ほとんどの区間で撤去されていたが、別所駅〜三木駅間では線路の確認が出来た。

駅舎内に立ち入って撮影した写真があるが、駅舎内への立入禁止表示が無かったことを先に述べておく。
線路内へは立入禁止表示があったため、立ち入っていない。

それでは、三木鉄道を巡ってみましょうか。


写真ナンバーの後についている(神)はJR厄神駅方面、(三)は三木駅方面を向いて撮影という意味である。


No.1 (三)

三木鉄道は加古川線の厄神駅が終着駅であった。廃止か
ら1年弱経っているが、列車が到着していたことを示す面影
が残っている。

見え辛いが、写真左側に加古川線の電車が映っている。
加古川線ってディーゼルカーが走ってると思ってましたが、
電化されてたのね。
No.2 (神)

厄神駅から国包駅(くにかね)間の線路は既に撤去されてし
まっていた。ところで撤去した線路は溶かして再利用でもす
るのだろうか?
No.3 (南向きに撮影)

線路は撤去されていると言うものの、かつての踏切区間で
は線路が残っている。道路は加古川市、三木市が管理して
いるので、勝手に撤去できないのだろうか。
No.4 (南向きに撮影)

国包駅(くにかね)に到着した。この手の地方鉄道はバス停
みたいな簡易な乗降駅が多いが、立派な駅舎である。
ちなみに、立入禁止表示等は一切なかったので中に立ち
入って撮影することもできた。

ちなみに国包駅は6月下旬に完全に解体されてしまった模
様。解体直前に写真に収めることが出来てよかった。
No.5 (駅舎内で撮影)

立入禁止表示がなかったので、駅舎内に突入。
旅客運賃表が掲示されていた。
No.6 (北向きに撮影)

国包駅を出発し宗佐駅へ向かう。途中、線路をアンダーパ
スする箇所があったが、ガードも撤去されていた。

手前の全高3.6m制限標識も無用の長物となった。このまま
撤去される運命にあるのだろうか。
No.7 (神)

宗佐駅に到着。
簡易な駅であるが、調べてみると国鉄から分離独立した際
に、利便性を向上させるために設置されたらしい。

ちなみにここも駅への立入禁止表示がなかった。
もう言ってしまうが、三木駅以外は立入禁止表示等は一
切なく、入り放題であった。

線路は立入禁止なので、当然入ってませんが。
No.8 (三)

宗佐駅を出発すると、あっという間に次の駅である下石野駅
に到着した。
こちらも分離独立後に新設された駅である。よって、新設駅
が多いので駅間距離は非常に短い。


その2に続く